明らめ作業で感じたこと

ある出来事について明らめるために書き出しをしていたら、最終的に「ただただ寂しい」という感情にぶち当たった。その手前には「怒り」みたいなのもあって、その奥に「寂しい」とか「悲しい」があった。
今までの明らめる作業ではいつも、この手前にある「怒り」「むかつき」「イライラ」の感情までを見て、掘り下げ終了~ってすることが多かったような気がする。でも、怒りよりも寂しさとか悲しさのほうがもっと心の深いところにあるんだ、って分かった。

 

ぶち当たった「寂しさ」をじーっと味わってみた。分かったことは、私は今までの人生であまりこの「寂しさ」の感情をちゃんと味わったことがなかったということ。じんわり涙が出てきたけど、感じ切ったら全然引きずらなかった。きっかけとなった相手がいたんだけど、私はその人のことがとても好きゆえにこの感情が出てきてる。(無視や放置が辛かった。)
でもそのことは実際どうでも良くなったぐらい、じっくり寂しさを感じとれた自分が嬉しかった。感じさせないからモヤモヤぐるぐるするし、なかったことにされようとしてるこの感情が「私いますけどー、見てよ見てよ」って主張してきてたんだなあ。

 

私の中に過保護な保護者みたいなのがいて、いつも私が寂しさとか悲しさを感じるような出来事に合うと私を傷つけまいと、すぐに思考(自分なりの理論)で分析したりフォローしてくれていた。物心ついたころからその人は私の中で大活躍してたので、油断するとその思考と、感じてる今の自分の気持ちの区別が付かないときがある。判断ポイントは後からモヤモヤするかしないか、になりそう。


それと私は色々な感情の中でも「寂しさ」と「悲しさ」の感情をなかったことにしがち、ということが分かってきた。その二つを感じてることを認めちゃったら、シャンとした自分が維持できないとずっと思っていたけど(つまりそれだけ自分は打たれ弱い)、今回感じてみても普通に生活できたし、抑え込んでた時より感じたときのほうが引きずらないしすっきりするんだなー、と思った。

 

正しい明らめが出来たらこんなにすっきりするんだな~。