読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

なかったことにしようとしてた

カレー煮込みながらブログ書きます。音楽聞きながら野菜を無心で刻んでたらめっちゃ頭の中すっきりして、「あー幸せ」って思いました。ああ、こういうのでいいんだ、こんなんでいいんだって思いました。

 

昨日、午前中公園で子供を遊ばせてる時にずっと「一人になりたい一人になりたい」って頭のなかで呟いている自分に気づいてしまった。いかん、今に集中してない、前日土曜に全然一人になれなかったせいだ、と色々理由づけしてみるものの、呟きが消えない。


土曜日、一年ぶりに近所の天然温泉施設に一人で入浴しに行こうとウキウキしていた。数日前から何度か夫に一緒に行きたいと言われていたけど、一人じゃないとリラックスできないから断っていた。なのに、当日の朝また「子供は俺と一緒に入るから」と言われ(二歳なので私と一緒に入ったこともあり)、まあいっか、と一緒に行くことに。そうしたら男湯から子供のぎゃん泣きの声。。。非常に気になり私はリラックスどころじゃなくなり露天風呂に避難して、無事入浴を楽しんだ。とこまではよかったけど、湯当たりしてしまい家に帰っても体が使い物にならず、夜も九時には寝てしまった。

 

翌朝起きて色々やりたかったことが何もできなかった自分が残念で、一週間待ちわびた土曜の一人時間を自分に与えてあげれなかったというショックとイライラを引きづったまま公園にいった結果でした。(日曜は夫は趣味活動で朝から不在でしたので、、、)

 

それで、今までだったらこのイライラを夫が趣味で家を不在にするせいだ(だから私の時間がないんだ)、って夫にぶつけていたと思うのですが、そもそも夫がどーこー関係なく私は一人になりたいんだ、って今回初めて思って。しかも、「たまには子供と離れたい」とか「一人の時間がほしい」って専業主婦の自分が思うことはいけないことだし、そんなの良い母親じゃないってずっと自分に無意識に禁じていたことに気づいたんです。実際は子供夫に見てもらって友達に会いに行ったり買い物に出かけたりしてるくせにです。矛盾してますが・・。だから、何か理由なく「ただ一人になりたいだけ」で預けれる託児には罪悪感があって預けれなかったんだなあと。

 

冷静に考えたら自分のペースで暮らせない(子供のペースで一日が進む)状況が続いたらふと一人になりたくもなる。それを、周りの多くのお母さんが普通にそれをやって暮らしてるのに、そこに息苦しさを感じるのは私の要領が悪いせいだってどこか思ってました。
でもさ、別に要領悪くたっていいじゃないか。それが自分なんだって明らめました。

 

温泉に三人で行って、自分のペースで動けないことがストレスでしかなく(どうしても家族が気になってしまうし、やはり誰かいれば相手に合わせてしまう自分がいる)、世の中で一番大好きな家族にでさえそう思ってしまう自分が欠陥人間だなあ、って思いましたが、これが私なんだと。
家族に対してでさえそうなんだから、そこまで仲良くないママ友と一緒に行動できるわけないんだって(笑)と、ちょっと前に悩んでいたことも自分のなかで腑に落ちた。
どんな相手・状況でも、相手に合わせず自分のままそこに居られるようにならない限り、集団行動は私は無理なんだ。疲れるだけなんだ。。。

 

そんなことを考えつつ家に帰ってきて真穂さんのブログを見て、勝手に色々気づかせていただいて、メモメモしようとしたらほとんど全部書き写していた、という(´・ω・`)私は自分の湧いてくるもの(今回の子供と離れたい、の思い)をコントロールしようとしてたし無意識になかったことにしていた。私がいまいち突き抜けれないのは、自分にもいい格好しようと知らずになかったことにしようとしてる感情があるからなのか!!!・・・ああ、出直そう。一からやり直しだ。
真穂さん、いつもいつもたくさんの愛で大切なことを気づかせてくださってありがとうございます。

santasantasan.hatenablog.com

 

 

 

陰で悪口言われてた

先日保育園のイベントに出かけたときのこと、久しぶりに会うママ友が怒りながら話てくれたこと。近所の公園で私がよく会う70代のおばあちゃん(孫がうちの子と同い年でよく遊んでた)が、私のことを悪く言っていたらしい。頭にきて全部言い返したよ!!とのこと。で、その内容も話してくれた。

 

うーん、なるほど。と思いながら全然自分の心が動揺しないことにびっくりしてた。ママ友とはお互い子供を遊ばせながらだったので、話が何度も途切れ途切れになったので、全部は聞けてないかもだけど、別にすべて聞かなくていいやって思った。(ママ友が怒って言い返してくれたのはうれしかったけど・・)

 

前の私は、自分が好きな人でなくても人に悪く言われることがとっても苦手でそれを避けるために各方面にいい顔してたし、今回のようなことがあれば、詳しくすべて聞いてその悪く言ってた相手に誤解を解かねば、ぐらいに思っていたと思う。

 

でも、どーでもいいと思った。だってそのおばあちゃん私にも誰かの悪口言ってたし、今回言ってたこともそのおばあちゃんにとってはなんの関係もなく、誰かが傷付くとかでもないことなんですよ。

 

それで、「あ」と思いました。ママ友からもっと詳しく聞き出して相手への憎悪を膨らませて、怒りで自分をいっぱいにするのか、はたまたママ友の気持ちだけは受け取り、そのおばあちゃんからもサラリと距離をとるのも、自分の選択ひとつなんだと。
なんか、今までは「選択」とか考える前に「自動的に」前者になっていたなあと。。
自分という存在が外側の誰かの評価次第って思ってたから、そういう話に大焦りしてたけど、自分が自分のやってることに納得してたらそれでいいんだ、って思えた。

 

あと前の自分ならそんな話聞いたら、もうおばあちゃんに会いたくないがために、その公園に行かなくなってたと思う(おばあちゃんは自称このあたりの主というか情報通って言ってたし)。でも、別に自分やましくないし、子供が好きな公園だから普通にこれからも行くと思う。

 

そして、もうそういう自分に負の影響与える人は私の世界にはいらない、って思った。←このあたりのこと、ちょうど最後の真穂さんのセッションで詳しく聞けて、おちょこと大海原の話とかすごく納得したことだったので、最近は自分を守るために「排除排除」って唱えてる。


でも、そういやそのおばあちゃん正月明け一度会ったきりで、二か月くらい会ってない(それまでは週に二三回会ってたのに)。もう願い叶ってたー(笑)、という話でした。

 

 

どこまでも自分

 先日のこちらの日記のその後です。

kinny528.hatenablog.com

 

心を入れ替えてから10日あまり。
子供は新しい言葉をいくつか発するようになり(お代わり、ダメ)、私が発した言葉を真似(おっぱい、ねんね、だっこ)することも出てくるようになりました。発してくれる言葉が増えると本当に嬉しくて!これは遅かったからこそ味わっている喜びかもしれません。

 

最初の一週間は疲れさせようと一日四時間とか外遊びしてたんですが、それだと子供は昼寝を二時間三時間平気でしてしまい、かえって夜の就寝に響くので(そして何より私が疲れて持たないので)、外遊びは午前は二時間、午後一時間ぐらいにして、お昼寝も一時間半に減らしたらいい感じに夜八時には寝てくれるようになりました。
私も夜に自分だけの時間が欲しいので、昼は必死です(笑)

 

「子育ては命がけ」という言葉の意味をずっと考えていました。最初は自分を犠牲にして子供に尽くすみたいな「無私」の意味に捉えてしまっていましたが、そうではなくて、「今目の前の子供に集中すること」なんだと思ってきました。
集中というのは、ただ一緒にいることじゃなくて時には離れたり、子供に必要なことと必要じゃないこと、手を出すことと手を出さず見守ること、叱ることと自由にやらせること等々・・・見極めて接していくこと。(今の私の今の生活で感じたのは、です。状況や自分が変化したら違うことを思うのかも)
子供に集中することはどうしても自分の信念(思い込み?)や在り方を問われます。

 

それと、私の中にどっしりと自分を信頼する気持ち、子供の命を信頼する気持ちがあれば、言葉が少々遅くても、少しぐらいのやんちゃな行動があっても、あそこまで揺らぐことはなかったんだと思います。そしてその自信とは、日々一瞬一瞬子供ときちんと向きあってます、と言い切れる自分から生まれると思っています。
だから、やっぱりどこまでも一番最初に整えなくてはいけないのは「自分」。

 

自分自分自分、もっと自分に集中していくぞ。

 

 

広告を非表示にする

貧乏性な私。カシミアセーターの効果

昨冬母からカシミアセーターを貰った。考えてみたらカシミア100%のセーターはそれまで持っていなかった。手触りがふわふわで気持ちよくて、なんだか私にはもったいない、汚しそうだし、ここぞというときに(どこ?)着ようと思ったまま着ることなく今年の冬まで箱に入れたまんまだった。

 

今年の正月、ユニクロの初売りに行った旦那のお母さんがカシミアセーターを買ってきてくれた。初売りでは半額になるらしい。ちょっと自分のなかでカシミアへのハードルが下がった。

 

始めは出かけるときに数時間着て家では着替えていたんだけど、あまりの気持ちよさに脱げなくなった。自分でも1枚買って、三枚を日替わりで毎日のように着ていた。軽くて柔らかくてふわふわで自分が守られている気がしてくるし、柔らかいものに包まれてると自分を大切にしている感覚になってくる。たまに毛玉ができるけどそれをはさみで切る行為も、自分を慈しんでいるような気になった。こんなに着続けたら1年でだめになっちゃうよー、と貧乏性な私が言うけど、こんなに幸せくれるならそれでもいいよね、と思った。

 

正直セーターがここまで心に変化をもたらすなんて予想外で驚いた。そして、カシミアなんてふさわしくないよ、と自分に決めつけてたことを反省。
自分で気が付いてなくても、その思い込みは洋服に限らず、あこがれのモノ、場所、人などなどにも知らず発動しているのだと思う。「私なんて」「めっそうもない」「私にはもったいない」そう思うことで、逃しているもの、受け取れていない*幸せ*がきっとあったんだろうな。そういう思い込み見つけたら、ほんと?って疑ってみよう。

 

そして思い出したのが数か月前にもらったシャンプーのサンプル。私の大変な髪質もとにかく扱いやすくなって、香りや洗い心地含めそのシャンプーで自分を洗ってあげることが自分を大切に扱ってる気がした。だけど、とても高い商品だったから買うことはなかった。高級シャンプーは自分には不釣り合いだと思ったのでした。でも、きっとカシミアセーターのように使い続けて初めて分かることがあるに違いない、勇気をだして定期購入に踏み切った。こんなことにもドキドキな私・・(´・ω・`)

 

自分という小さな世界の小さな思い込み、気づいたところから疑っていってみよう。

迷走終了。お前もっと真剣にやれ

1月後半から子供のことで、色々迷走しておりました。
30日に妊娠中からお世話になっているホメオパシーの先生に相談してから、状況が変わりましたので書こうと思います。

 

まず、きっかけとなったことは昨年10月の子供の1歳8か月検診で言葉が遅いので、二歳になっても増えないようなら電話ください、と言われたこと。さすがに二歳までこのままなわけない、と思っていたけど、誕生日一か月前の1月になっても一向に増えない。(増えたのは「イヤ」のみ)
さすがに・・と思ってネット検索などしてみたら、「発達障害」という文字が目に入る。そういえば子供の落ち着きがないのもめっちゃ気になっていた。もしかして・・?!そして、私の妊娠中の既往歴が発達障害の原因になりうる可能性あるという研究結果が私が出産後に発表されてたことを知り、Σ(゚д゚lll)ガーン、焦りだす。その結果が前回の日記です。

 

先生は30日の昼時に出張で自宅にきてくださり、図らずも、お昼時だったし普段の日常の様子を見ていただくこととなりました。先生の指摘は細かいのはたくさんありますが、大きくいうと2つ。


この子はすごくエネルギーが有り余っている。もっと外に出したほうがいいということ。今は体を思いっきり動かせるべき。体と脳が連動しているから。一年そういう生活をしてみてから判断してみるべき、と。

 

それと子供と私のやり取りを見ていて、この子はあまり怒られたことがない子供だと思う。「この子の問題でなく、○○さん(私)がダメなことはダメと注意しないせい」。そのせいで、この子はお母さんをなめているし(いうことを聞いてくれる)、泣けばなんでも許されると思っている。それで、このような行動性格になっている。それにお母さんがなんでもやってあげてるから、言葉を話す必要がないから話さないんだよとΣ( ̄ロ ̄lll)

 

私は正直、子供はなんでも面白がってやる生き物、ある程度好きにやらせたほうがよいのかなって思っていたので、生死にかかわることと、周りを傷つけたり迷惑をかけること以外はあまり注意してきませんでした。それは自分が小さい時にあきらかに危険なこと以外でも「ダメ」と言われるのが嫌だった記憶があったのもある(今回よくよく思い出したら、ダメと言われることじゃなく、ダメな理由が理解できないことが嫌だった)。それを伝えると「自由とは自分でつかむもの」であり、「ダメなものをダメと教えないことはこの子にとって不幸なことだ(世の中に出て初めてなんでも思い通りにならないと知るのはきついこと)」というようなことをおっしゃった。確かにその通りだ。。。

 

非常にショックでした。私は子供とずっといて一体何を見てきたんだろうと。自分自身に疑いをかけることなく、とんちんかんな暴走をしていた。情けない、恥ずかしい。

 

とりあえず、30日の午後から外で長い時間過ごすことをしてみた。
そしたら丸一日経たないうちにすぐ子供の様子が変わった。

 

まず、ご飯をめちゃくちゃ食べるようになった真剣に。←遊び食べをしたり残すことも多かった。その割にあとから口さみしいのか冷蔵庫を叩いて食べ物を要求してきたが、その行動がなくなった。食べたくないものを、皿から取って床に捨てる癖もあってずーっと注意しても直らなかったのに、お腹すいてるせいか全くやらなくなった。


外で長い時間遊んで気が済むのか、家では一人で車で遊んだり本を読む時間が増えた。←いつも、かまってかまってな感じで、本を読んでもらいたがっていたのが、半分くらいになった。

 

通っているリトミックの直前に「今日はソファに行かないでね。紙をはがさないでね。」と目を見て言い聞かせをしたら、だいぶ行動が変わった←いつも勝手に出口に走っていったり、ソファにダイブしたり、張り紙をはがすなどしていたが、回数が激減した。

 

昨日今日と1日トータル4~5時間と、今までの倍の時間出ている。でも夜も早く寝てくれるし、不思議と私の時間は増えた。

 

これだけ現実が一瞬で変わったのだから、きっと今のうちの子にはこの生活が正解なのだろう。つまり私が原因そのものだったという事実。そして、私がズレまくっていたのは、なぜだろうと考える。
その答えは「お前ぬるいんだよ。もっと真剣にやれ」って子供を通して言われている気がした。私が正解にたどり着くまで時間がかかりすぎるのは、自分にぬるいからなんだ。。。

 

自分のことなのに、自分の子供のことなのに、第三者の視点を導入しないと気づくことができない自分が本当に情けないと思うが、これが今の私の真実。受け止めなければいけない。
色々調べて不安になってたのも、きっと心に暇があったからだ。今子供とずっと外にいる生活になったらそんな考え事してる時間はない。し、実際ことばのことも全然気にならなくなった。

 

時を前後して、真穂さんからメールでありがたいアドバイスをいただけた。読んで、悩みを作り出して人生を忙しくしてる自分、色々疑わない(今回は一番疑うべき自分も疑わなかった)自分に気づかせていただいた。真穂さんはそういうところを見たり感じたり疑ったりしているんだ、視点が俯瞰というか大きく高いところから見ているのがやっぱりすごいなあ、と思った。

 

今回のことはとっても大きく自分に絶望した出来事でした。。。真穂さんのコースが終わった時にこの絶望が来たのも意味があるんだと思う。「人に頼ってばかりじゃなく自分であがけよ」って。

大学卒業するときにゼミの先生から、寄せ書きに「●●さん(私)は自然体がいいのでしょう。でももっと あがいてみて」と書いていただいた。当時は何とも思わなかったその一言が、16年の時を経てずしっと刺さって来る。私はあがいてなくて、あがいてない自分であることにも気づいていなかったと思う。今あがかなくていつあがくんだ。

 

子供を注意するとき、何か言い聞かせるとき常に自分自身を問われる。お前はそういうことを伝えれる人間なのか?自分はどうなんだ?その言葉は自分のためなのか、子供のためなのか?
子供を通して自分と向き合う。


先生が「子育ては命がけなんだ」よと言った。
私は命を懸けていたと言い切れるんだろうか。どこかふわふわしてなかったか。なんか、自分に都合よくばっかり考えてなかったか。
きっとどのくらい一緒にいたかではなく、短い時間でもどれだけ子供と真剣に向き合ったかどうか、ということなんだと思った。

 

頑張れ自分。一人劇場おわり。

不安と怖い

前回のブログを書いたら、自分の状況が少しだけ客観視できたような気がした。
やっぱり私ずれていた。

 

今すべきことは、発達の「ちょっと気になること」は然るべきところに相談して、客観的な事実を把握すること。
あまり深刻に考えないこと、も
私が作ってた状況でした、と思って掘ってみるのもちょっと違った><

 

そんなわけで金曜に市の機関で相談、
簡単なテストを行い、言語面で半年の遅れがあるとのこと。
相談員さんには始め視線が合わない感じがあったけど慣れてきたら大丈夫そう、
閉じられた空間が苦手みたいだし(相談部屋から何度も脱走をした)、
今のところルールがある場所でみんなと同じことをするのは難しそう、
と意見をいただいた。
ただ、今の段階ではどうこうの判断はできないとのこと。
療育施設のことなども聞いて、帰宅してから施設検索、
気になった施設には見学の予約を入れ、
妊娠中からお世話になってるホメオパシーの先生にも子供の予約を入れた。

 

ここまでしたら、なんだか急にほっとして
初めて自分はめっちゃ不安で、怖かったんだ、ということに気づいた。
不安や怖さを拾えなかったから、
受け止めることもできていなかった、自分ごめん。

そして、私が作った原因があっての今、
という可能性がゼロではないから、
私の全責任において今後を決めねば!ぐらい気負っていたことに気づく。
なので旦那にも弱音を吐いてみる。

 

この一年がめちゃくちゃ大切。
だから、できること思いついたことはトライしてみよう。

 

 

広告を非表示にする

で、どうする?迷走中・・

前回の記事では、子育てを自分の存在価値と感じていた自分を明らめたと、書きました。
でその結果、どうするのか?と考えていて、また一時預かり(託児)を利用してみようかな、と思い立ちました。(うちの市では、仕事持ちでない親は月一回までなら理由がなくても預けれます。)

 

そう思っていたら、今朝になって子供が「イヤ」という言葉を初めて発したんですね。新しい言葉を発するのは多分昨夏以来(前記事で気がかりなことと書いたうち一つは言葉の遅れのことです)。喃語かと思ったけど、多分正しい文脈で何度も使ってる!これに、気をよくした私は善は急げで、保育園に今月中空いている日はないか確認したところ掛けた3件全滅。

 

でも、あれ?なんだか段々悲しくなってきてしまいました。私別に託児に預けたいわけじゃないのに何やってんの?自分の設定を発見して修正できたつもりで、そうしたら子供が現実に変わるかもって試したくて(今朝新しい言葉を発したのをいいことに、ここでいえば子供が託児で泣かなくなるという現実が起こるかもと期待していた)、自分の実験に参加させようとしてるだけじゃん!!子供いい迷惑だよ!と気づく。

 

ということで、振り出しに戻る・・・
で、どうするの?の答えは今は保留中です。
託児については今回の打算みたいなのでなく、自然に使える日が来たら(急に歯医者いかなきゃいけなくなったとか)挑戦してみたいと思います。

 

迷走ブログでした。