読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

もしかしてだけど

前回のブログを送信したあと、私的に恐ろしいことに気づいてしまった。

 

今子供の発達のことでちょっぴり気がかりなこと、あまり大げさに考えないようにはしているんだけど、2つくらいあります。
でも実はそれって自分が望んでいることなのではないか?と。
その事実があることで、なにか自分にメリットあると感じてるんじゃないの?と。


「いやいや、子供は健やかに育ってほしいし、そんなことはない」と一旦否定したものの、もしかして?と思い当たったのが、
例えばうちの子は公園とかで他のママに大変だねとよく言われるくらい、めっちゃ動くし逃げ足が速くて道路にもすぐ飛び出したり・・・

 

元気よすぎて大変→他の大人しい子の育児より大変に違いない→私は大変なことやってる(からエライ)と思い込む→自分の存在価値をそこに見出している、のかなと。つまり私が子育てを大変と思いたいから、子供が大変と思わせる事柄をしてくれてるのかなと。一度そう思ったらどんどんそんな気がしてきた・・・

子供がまだ歩く前のこと、義母に「毎日子供と付きっきりで大変でしょ?」と聞かれて「毎日楽しいのでそんなことないです」といった後に、なんとなく気まずさを感じてしまったのを思い出した。

 

あー、私はラク(ここでいえば楽しい子育て)をしてはいけないとどこかで思っていたんだ。
そして、いま子育てをしてる自分に価値を見出してたってことは、何もしてなくて素で存在だけしてる自分にはまだ心の底からのOKは出せていないんだな、ということが分かってしまった↓↓
それって、「ただのオンナ」に戻ることに反してるじゃないか。ちょっとはできた気になってたけど、全然じゃないか・・・。「ただのオンナ」道(もうほんと武道とかと同じ道だなって)って本当に深いなあと感じる。

 

幼稚園までの期間のこと考えるときも「子供と一緒にいて仕事しない」生活か「仕事して子供預ける」の二択しか思い浮かばなくて。それって仕事か育児どっちかしてない自分は存在してはいけないと思ってるんだな。

 

保育園の託児に二回ほど預けたことがあるが、二回ともずっと泣きっぱなしだった。そこでも、だから預けるのは早かったかな、まだ私じゃなきゃダメかなって自分の存在確認の材料にしてる。
さらに、今は仕事したくないと思ってる自分がいて、したくないなら「今はしたくない。私が子供といたい」以上。でいいのに、したくないことに何かたいそうな理由がなくてはいけないと思っている。

 

そんなわけで

今、そのままの自分を愛せるように、認めれるように日々やってるところだから、自分の価値を「子育て」(または「仕事」)に見出さなくていいよ、と改めて自分に言い聞かせてみる。

子供にも、気づかせてくれてありがとう。もう気づけたから、その点を私のために表現しなくて大丈夫だよと、言ってみました。

 

 

 

広告を非表示にする

如実に変わったこと

真穂さんの継続コースを受講するにあたり、一番最初に雷を落とされた私。

日報と称して旦那や母親の愚痴を3日くらい連続して送っていた。そういうことを隠さず伝えるのが自分を掘り下げることだと思っていたズレっぷり。

真穂さんから「全体的に人のせいにしている」「今までブログの何を読んでたんですか」「旦那さんが最低なら私も最低な人間で釣り合っている」と指摘されて、初めて気づいた自分に絶望、号泣。

 

私は真穂さんのブログを読んで分かった気になっていたけど、全く分かってなかった上に、自分が一番苦手なタイプの愚痴ばっか言ってる人間だったという事実に愕然。しかも、それに無自覚。Σ(゚д゚lll)ガーン

 

この3か月、旦那に怒りが湧くたびにこれだけは気を付けてきました。「こういう旦那にしたのは私のせいかもしれない」と思ってみること。

それで、徐々に私の心持ちも変わってきて今にいたります。

でも、旦那が何か変わったわけではなく、今まで旦那が与えてくれているものに気づかなかっただけでした。

 

それで、如実に変わったというのは来月2歳になる子供です。最近「お父さんにべったり」でびっくりするほどです。一時期、私が旦那に殺意(-_-メ)を抱いていたときはやっぱり、こどもは旦那を嫌って寄り付きませんでした。真穂さんに指摘されて、私はその気持ちを表には出していなかったつもりなので、子供に伝わってた?とびっくりしたのですが、その後実際ちょっと気づきがあるたびに子供の様子が変わっていくので、最近では私にとってはバロメーターのような感じに思えています。

今子供は土日は朝から晩まで旦那にくっついています。旦那もうれしいみたいで色々連れて行く。そうすると、私も普段はできない家事ややりたかったことが土日にできて、気持ちがすっきりして、旦那に感謝となりまた接し方が改まります。そういう良い循環みたいなのが少しずつできています。

 

よく「家庭の太陽はお母さん」とか「お母さんが家庭の空気をつくる」みたいなことって聞きますよね。私はそれも分かったつもりでしたが、実体験としては全く分かってませんでした。旦那を心で責めてたビフォーがあってアフターの今だから、とってもその通りだなって実感として思います。

 

こんな風に感じた今の気持ちをずっとキープしていけたらいいなと思います。

過去の自分を断捨離

2009~2011年ころ(集中的にやったのはうち半年くらい)、ヨガ講師になる勉強をしていました。実際に少しの間友達と教室をしていたこともあって、そうしたらそれまでとても大好きなことだったはずのものが、全然楽しくなくなり、自分にも全然自信が持てなく辛かった。結婚して関東に引っ越してきてからも、一人だけ生徒さんが来てくれて短い間やっていたけれど、思うように人が集まらず、そのままフェイドアウトしてしまった。

 

それから、早4年以上。ずっと「もう諦める!」とするわけでもなく、かといってまた始めようと努力するわけでなく、いつか役に立つだろうと思って購入した本たちがずっと本棚に入ったまま。買うけど読んで実践するわけではない。持っていることで安心するみたいな。

 

でも、本当はずっと自分で答えはわかってるし、当時もわかっていたはず。自分が満たされていないのに、人に与えることなんてできなかったし、ヨガ自体は好きだけど私は教えることは好きだったわけじゃなかった。レッスンのための練習もあんまり楽しくなかった。途中で気づきつつも、自分には何もないと思ってるから「資格」という形あるものが欲くて、それを認めることができなかった。

教室始めたら始めたで、思うように人が集まらない自分をみじめだと思っていたし、そんな自分を見たくないと思っていた。

もはや情熱も消えたのに「結構お金もかけたし、せっかく勉強したのにもったいないなあ~」という思いが手放せず、はっきりさせないほうが、「いつかまた」って夢見ていられるから握りしめていた。。

ああ、弱っちいなあと、思う。

 

でも、もう過去を手放せないことが何物も生み出さないことを知った。きっとうまくいっている人は、失敗をしてないわけでなく、失敗したと思ったらすぐに認めてやり直す道を探してるんだと思う。それが出来なかったから私はずっと同じ場所にいた。

またやりたくなったら、その時はその時。ヨガに関する本を今日だいぶ処分しました。テキストに使っていた本たちは捨てれなかったけど。。。でも、今日のところは半分処分できた自分をほめたいと思います。

今日はそんなところです。

 

 

いまここから

ブログを書いてみることにする。

昨年10月末から真穂さんの継続コースを受けている。あと一週間で期間が終わる。期間中は日報と称して真穂さんにメールを送っていたけど(送りすぎて迷惑をかけてしまったけど、、)これからは、自分ひとりでやっていくのだ。このブログを書くことで自分と向き合っていけたらと思う。

真穂さんが書かれている、ブログで自分の思いを放つ、放ったらまた生まれる、というのはどういうことなんだろう?自分でも感じてみたいと思った。

真穂さんからも指摘いただいたが、私はどうしても頭で考えてばかりで行動するのが伴わないところがある。

だから、ブログもビビりな自分にとってはめっちゃ緊張の一歩だけど、やっとスタートラインに立った今、自分のためにこのブログを書いていこうと思う。

 

 

 

広告を非表示にする