ドロドロが溢れ出す

こんにちは
きょうは雨降り。今は若干暴風雨ぽいですが、窓を開けていると風が入ってきて気持ち良いです。

 

日曜に旦那と子供のことで言い合いになったことが引き金となって、
そのことは解決した後もこの三日間すごいネガティブなドロドロが自分から溢れてきました。
昨夜寝るときは、黒いドロドロがずーっと土管みたいなとこから溢れ出るとこを映像化して垂れ流しにさせたたまま寝ました。(←この映像化はちょっと胸のあたりの苦しさがラクになりました・笑)

 

自分の握ってる思い、明らかに手放したほうが楽になる類のものでもなぜ手放せないのか?本当は握ったままでいたいのか?
そしてまた、自分に足りてないもの探しをし、ほかの人のブログを読んで苦しくなっていました。人に憧れることさえ苦しい。
本当は自分は変わりたくないのではないか?今のままのそこそこの幸せでいいと思っているのではないか?旦那とのことも改善できてきてると思ってるのはただのプラス思考ではないのか?などなどのグルグル・・・書いても書いても同じとこにいるような、自分の言い訳みたいなのばかり出てくる。

 

でも数日思う存分ネガティブドロドロを感じたら、今朝になって抜けた感じがあります。今日の天気も洗い流してくれているような気持ちです。
↑これらのことを思うことに対して、そんな自分を「変えたい、変わりたい」と思うことでまた苦しくなっていたけれど、それもダメ出ししてるだけで自分を受け止めていないことなわけで、、、そう思ってしまう自分もただ傍観してみる。

 

本当に今更・・今更ですけど、見たくない自分の気持ちがたくさん見えたけど、やっと自分と向き合えたような気持ちです。

 

 

 

 

 

夢のお告げ・・・に乗ってみる?!

こんにちは。

最近、前回のブログで書いたようなこと、自分の土俵はどこか?みたいなことをずっと意識して生活していたせいか、

(前にも同じようなこと書いてますが・・・夢 - kinny528の日記

結局答えは出ていませんが、一昨日朝起きる直前にそのアンサーともとれる夢を見ました。


日本でのある分野の第一人者の先生に「〇〇をしなさい。それをやるとあなたの魂が喜ぶんだよ」と夢の中で言われました。
ちなみにその先生の分野はその〇〇には一切関係ないし、そもそも面識はない方です(^^)が、その先生に言われたら説得力あるなあ~と個人的には感じてしまう方。

 

その〇〇というのは、5年くらい前にとあるヒーラーさんというか視える方に、kinnyさんはそれを多分やったほうがいいよ、って言われたこともあって(別のことで悩んで相談したのですが)。
当時は、それは私の地元ではすごく盛んなんですが今住んでる関東では多分そういうことをやれる場所や団体もなくて、言われた直後は色々調べたりしたものの、結局それの動画を見て満足したぐらいにして、そのままその朝まで忘れてたんですよね。

 

過去にそう言われてたのに、中途半端にしていた罪悪感からそんな夢を見たのかなあ、とも思ったのですが、どう受け取るかは自由なわけで。
もしかしたら本当に私の魂が気にかけていることなのかもしれない。。

 

で、今まであまり関連して考えたことがなかったのですが、うちの実家もそれを昔やっていた家なんですよね。その頃の道具とかいうのは今でもあって、文化祭やなんかの時には役場から展示したいから貸してください、って言われたりしている。
今回も動画をまたネットで見たりしたのですが、見てると背中のあたりがゾクゾク(ぞわぞわ?)くるのです。DNAが反応するのでしょうか(笑)


でも、その行為自体はもう廃れてしまって、多分正確に覚えている人がいなくて復活するのは厳しいことである。
失ってから大切さに気付くとは言いますが、なんだかそれがすごく切ないことにも思ったりするわけです。地区によってはきちんと伝承されているところもあるわけですから。


そんなことを考えていたら、ちょっとそのことについて調べてみてもいいのかな~。なんとなく別に魂がどうの、とか大げさなことではなく、普通に実は私が気にしている、気にかけていることなのかもなあ、という気がしてきました。

 

そのことやそのルーツを調べることと、自分がそれをやることはまた別問題のような気もするのですが、そして、一朝一夕にはどうにもならないことのような気もしますので、今後の人生のライフワークぐらいの気長さで、細く長く気にかけるような興味の持ち方で調べていくのもいいかなあ、と思いました。

 

あいまいな表現ばかりで読んでくださった方には、なんのこっちゃって感じだと思いますが、そんなことを考えていたここ二日でした。

自分の土俵とは。。

こんにちは。
お久しぶりのブログ更新となってしまいました。


先月くらいからずーっと眠くて、夜は9時10時に寝て、朝も普通に6時とかまで寝てしまう毎日。。ちょっと病気か?と疑ったり、自分と向き合う時間を避けてるのか?と疑ったりしつつな日々ですが、睡眠時間の多い少ないもモノサシにするの止めようと思ってそこを責めずに過ごしています。

 

で、今更過ぎて躊躇しますが、真穂さんの5月1回目の音声を聞いて。
今回も自分の土俵ってどこだろう?と考えさせられました。

 

「それがやれた人がいるからそういうふうに自分たちも強くなれるんだっていうのは、ちょっと危ない発想」というところが響いた。
強くなりたいとか強くなれるとかは最近はめっきり思っていなかったけど、いわゆる「自分を大事にして、キラキラして豊かに稼いでいます」みたいな人たちをみて、自分を生きていたら経済的に豊かになるのかあ~、そして経済的な豊かさみたいなのはそれを証明するバロメーターみたいなものなのかしら~?とは漠然と思ってた気がする。でも実はそうとも限らなくて、そもそも自分は自分らしくは生きたいけど、いっぱい稼ぐとかそこ目指してないよね?って思ったし、だったら自分はどんな状況が心地いいのか?なにが本当の幸せなの?って追求しだしたら、とたんに、ぼんや~りしてしまった。

で、振り返った結果、普段あまり意識してないけど「やりたい」って思ったことを「すぐにやれる自分である」状態が自分にとって心地いいんだ、と。

 

別に大それたことでなく、先週はずっと作ってみたかったドクダミ化粧水を仕込んだり(去年もこの時期気になってたんですが、きれいなドクダミを探すのが面倒でやめた)、ハーブの虫よけスプレーを仕込んだりしたら、やっただけでなんかすっきりしたんですよね~。あと、子供のおむつをはずそう!とふと思って、夏にやろうと思ってたけど、その日のうちに始めちゃったりとか(絶対苦痛と思ってたけど意外と楽しい、お漏らしすらかわいい)。


行きたいと思ったとこにすぐに行けるとか、会いたいと思った人にすぐに会いたいための行動をとるとか。それが何かと思い立った時にそうできない状況が重なったときに、ものすごいストレスを感じるのだなーと。

じゃあ日常のそういう小さな満足ではなく、人生という大きな目でみて自分は何をしたいんだ?ってなったら、情けないですが、やっぱりぼんやり。
もう青年期からずっとぼんやりです。
でも、日常の「ふと思い立ったやってみたい」→「やってみる」を大切にしていくしかないのかな、と。

 

なんだか、まとまりも結論もない文章です。

 

でも、この一か月でちょっと自分の中での変化もありました。お恥ずかしいのですが・・旦那とのレスが解消しました。解消したって思ってるけど、本当に解消したのか一時的なものなのかは謎ですが、少なくとも私の中で気持ちは変わりました。どうやら私は今まで、旦那にも自分の体にもゆだねてなかったんだな、頭の中でずっと考えごとしてたんだな(例えばですけど、あー最近腹が出てきて恥ずかしいなあとか・笑)、って分かりました。

 

ほんと、まとまりないですが、今日はそんなところです。

 

 

 

平常運転

こんにちは。
GWも終わりました。今年は5/2~8と割と長く帰省しておりました。
やっと連休気分も抜けて、体も気持ちも平常運転に戻ってきました。

 

遅ればせながら、真穂さんの4月三回目の音声を聞いて思ったこと。
まず、全体的に今回もめっちゃ面白かった~。


なんだろう、、私は今までの人生で色々勘違いをしていたんだなあ、と。


それと、旦那には男性としての恋愛感情はないけど、そんな中でもまだまだ関係性のなかで色々挑戦!できる余地があるということ。
相手をとおして、めっちゃ自分の発掘しがいがあるということ。
私はもっと肝を育てていくぞー、という新しい気持ちを持てました。
わたし多分めっちゃふわふわしてた。
結婚するまであっという間で相手をじっくり知ってからとかではなかったから、
(もちろん決めたのは自分なんだけど)
耐えられないことが起きると「もう無理、離婚だ!!」みたいにすぐ怒ってた。
でも、もっともっと腹を据えてここから学ぶんだ、ってして生きていきたいと思った。
外に求めるのでなく、足元から。

 

私一つ前の音声から聞き始めたのですが、前回話の内容とか以外の部分でもわりと衝撃で。
聞いてて、こういう会話が音声のための会話っていうより、本当に普段のお茶の間の延長なんだなって、伝わってきたから。
きっと真穂さんちの普段の会話はこんな感じなんだろうと。
もうほんと、本質的な話ばかり。
それに比べて我が家の会話、、スゲー薄っぺらいなあ。くだらないことしか話してないなーと(*´з`)
なんというか、日常の起こったこととか子供の一日の様子ならまだできるけど(それもやや苦手)、感情とか深いところの話になると旦那にすべて話すとか、分かち合おうとかっていうのが全然やってなかった。これじゃ一緒にいるのに循環してないよね。。

 

お茶の間で宇宙とつながるとか、二人で命を循環させることが無限だとかって話が、聞いていたら、すごく納得というか。

 

ほんと新しい視点を持たせていただき感謝です。
婚活塾楽しそうだな~。 

 

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子供をモノサシにするのやめます

こんばんは。


先日真穂さんの音声の感想送らせていただいたら、ブログにてアドバイスいただきました。ありがとうございます(:_;)

過食も子どもの問題行動も。そのことを自分のモノサシにしないこと。 - 「すみません、ただのオンナに戻ります」。

 

子供の行動をモノサシにしてしまったら一生苦しい、ということ。
あああーーー、そうなのか。
真穂さんに指摘していただけなかったら、それ、今後もずっとやっていくところでした。今迄の人生、人のせい(特に親)にしてたことが多かったので、それを修正するよう心がけてきたつもりだけど、今度は子供が何かするたびに「全部自分のせい」って思うのは、自分の立場が変わってるだけで、思考パターンは完全には切り変わってないってことなんだな・・子供の力も見くびっていることになる。。
私のせいかもしれないし、そうじゃない場合もある。
子供をモノサシにする、その考えは手放します!!!

 

あと、音声のなかで、何かの「勝ち」に入ろうとするから、子供がそうなったときに足をひっぱられてるように感じるのでは?みたいな部分があって、アイタタタ・・って気づきました。その通りだったから。
私は学歴とか職歴にコンプレックスがあって、できない自分をダメ出しして生きてきたから、子供にはちゃんとしたレールに乗って欲しかったんだなあと。それも早いうちに。だから、レールどころかレールがある場所にも行けないかも、ということにがっくりきたのかも。子供をちゃんと育てる親、っていう括りで自分は入れなかった「勝ち」に入ろうとしていたのかも。
・・・ものすごく恥ずかしい。恥ずかしすぎる。

 

ほんとに今回の音声は私にとって、最近の言葉で言うなら「神回!」でした。
子供の個性・命が今後どう世の中で生かされていくんだろう、って思いながら見つめていくという姿勢(視点)を教えていただきました。
それまでは、先に「世の中」がありきで、そこに子供が当てはまってってほしい、みたいな必死な感じだったけど、まず「子供の個性」ありきで、それを生かす場所は多分あるだろう、みたいな感じに変化しました。
聞く前と後では、確実に気持ち変わりました。

 

あと、音声の最後のほうで、ジョーさんが今まで「考えたことがない」、というようなことをおっしゃってて、結構衝撃だったのですが、その言葉が後から後からボディブローのように効いてきています。今日から、私も考えないトレーニングしています。

まとまりがありませんが、今日はこれで終わります。
真穂さん、読んでくださった方、ありがとうございました!!

 

 

 

 

心が軽くなった

こんばんは。

昨日ブログでできない自分を認めたおかげでか、
困ったり辛くなったりしたら(親に限らず)誰かに助けを求めていいんだ、っていう気持ちが出てきて、今日は心が軽かった。

 

そうしたらいつもと同じような一日だけど、
出かけた公園で会ういつもの子供の友達やそのママにも、
私たちに縁してくれてありがたいな、という気持ちが湧いた。
こんなできない母のもとで元気にやってる子供にも、
できない妻になんの文句も言わない旦那にも。

 

受け取るってこんな感じ?
自分のサイズを正確にすればするほど受け取れるってのはこういうことなのかな~
なんて思ったり。

 

口の悪いおばあちゃんも(昨日は怒って老人とか書いてしまいましたが)
こういう強烈キャラの人に感情かき乱されることで、本音に鈍感な私も本心にたどり着けたのかも。
何気にありがたいのかも。

 

そんで、イベントに子供が参加しない、とかって公園でベソかいてたけど、
これまた私の問題であって、
私のなかに「人と同じようにできないと馬鹿にされる」とか「できないことで注目されるのは嫌」とか、「子供がちゃんとしないことで親のしつけがなってないと思われるのが嫌」(←多分これが一番強かったかも)とかそういうのがやっぱりあるんだなと。
子供も私のなかの歪みを見せてくれてる。

 

自分が子供の時にどんな風に接してほしかったか、どういう言葉をかけてほしかったかに答えがあるのかな。すぐには思い出せないけど。
「そのままで安心して生きていいよ」とか「言いたいことはいってごらん」とかそんな感じかな。
規律とか人に迷惑をかけないこと、とかそれはそれで伝えなきゃいけないのだろうけど・・

 

なんの結論もないですが、今日はこんな感じです。

 

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仕事もできないけど、子育てもままならない自分を認めます

こんばんは。

前回の記事、私は人に愛されたいと思っている、というようなことを書きましたが、自分の核の部分だったようで、翌朝すんごく恥ずかしくなり記事を削除しようかウダウダ迷いました。
でも、きっと気にしているのは本人だけに違いない・・と思ってそのままです。

 

話は変わりまして、今日の出来事。
今朝自転車で子供と出かけようとしたら、団地の仲良しのおばあちゃんと会い立ち話ししてるとこに、嫌いなばばあ老人が現れました。この人↓

陰で悪口言われてた - kinny528の日記

 

今日も嫌味?を言われ、適当にあしらっていたところに、目の前で自転車と車がぶつかる交通事故。。。ことの成り行きが心配で動けずにいると、老人は「あなたみたいな自転車で子供を前と後ろに乗せてる人は怖くて迷惑」みたいなことを言われ、さすがにこれ八つ当たりじゃんと、イラっときていたら、仲良しのおばあちゃんが「ほかに(子供の面倒を)見てくれる人がいないんだから、しょうがないじゃないの」と怒ってくれた。

 

事故は無事警察も来てくれるようなので、私は予定どおり児童センターのイベントへ。向かってる途中も老人に対するイライラが止まらなかった。

 

イベントは楽しみにしていたんだけど、子供が何度も脱走してしまって、やっぱりまだ無理だったか・・と。四度目ぐらいの脱走で、途中で帰らせてもらうことに。

 

外の公園に場所を移して遊んでいたら、子供は自転車のペダルを回す遊びを始め、それだけならまだ良かったけどチェーンも触ってしまい手が油まみれに(-"-)
公園の水道で洗うも油は取れず、洗っているうちに朝のこともあって、泣けてきた。。。

 

どうして、うちの子はみんなのように座ってられないんだろう。。(←頭ではね、私がそのイベントを勝手に申し込んでるわけで、子供は参加を拒否する権利はあると分かってはいるのですが・・)
どうして、自分がかつて描いてた理想の子育てとは違ってしまうのだろう。。
子育てなんてわかんないことばっかだ。。
うまくいかないことばっかだ。。
涙が止まらない。。

泣いてるうちに出てきた思い。
「親に頼りたい」
私は親に子育ての相談をしたい。近くにいてもらって一緒に育てたい。

 

家に帰ってノートに書く。

 

子供一人なのにあっぷあっぷしてる自分を認めたくないし、
それを認めて助けを求めたら、同じような環境で年子二人を育てた母はもっと大変だったと認めることになる。
そうしたら、母が大変のあまりとってきた態度や行動に対して、
私はああしてほしかったとか、あの言葉に傷ついた、とか母を責めたりできなくなるし、被害者でいられなくなるんだなあ、ってぼんやりと思った。
自分も親になってみて、頭では当時の母の大変さを理解したつもりだったし、被害者でいたいわけでもない。けど、心の中ではまだ根に持ってたんだな。別になにかひどいことをされたわけではないが、私が理想の母親像というのを勝手に作っていて、それと違う対応が返ってくることに勝手に拗ねていただけだ。
でも、もう手放す。

 

私が(長い時間)一人で子育てするのはきっと最良の選択ではない。
もっとたくさんの人の中で、子供には育ってほしい。
ことあるごとに長期的に遠方の実家に帰る人のことを今まで斜めに見ていたけど、私もこれからやってみようかな。
帰ったら帰ったで色々干渉されることに対して怒ってる自分も容易に想像がつくんだけど(笑)、でも、それでも一人で育てるよりはきっといい。


仕事もできてない(してない)けど、子育ても一人ではままなってない自分を認めます。すごく・・認めるのがキツいんですが認めます。