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子供をモノサシにするのやめます

こんばんは。


先日真穂さんの音声の感想送らせていただいたら、ブログにてアドバイスいただきました。ありがとうございます(:_;)

過食も子どもの問題行動も。そのことを自分のモノサシにしないこと。 - 「すみません、ただのオンナに戻ります」。

 

子供の行動をモノサシにしてしまったら一生苦しい、ということ。
あああーーー、そうなのか。
真穂さんに指摘していただけなかったら、それ、今後もずっとやっていくところでした。今迄の人生、人のせい(特に親)にしてたことが多かったので、それを修正するよう心がけてきたつもりだけど、今度は子供が何かするたびに「全部自分のせい」って思うのは、自分の立場が変わってるだけで、思考パターンは完全には切り変わってないってことなんだな・・子供の力も見くびっていることになる。。
私のせいかもしれないし、そうじゃない場合もある。
子供をモノサシにする、その考えは手放します!!!

 

あと、音声のなかで、何かの「勝ち」に入ろうとするから、子供がそうなったときに足をひっぱられてるように感じるのでは?みたいな部分があって、アイタタタ・・って気づきました。その通りだったから。
私は学歴とか職歴にコンプレックスがあって、できない自分をダメ出しして生きてきたから、子供にはちゃんとしたレールに乗って欲しかったんだなあと。それも早いうちに。だから、レールどころかレールがある場所にも行けないかも、ということにがっくりきたのかも。子供をちゃんと育てる親、っていう括りで自分は入れなかった「勝ち」に入ろうとしていたのかも。
・・・ものすごく恥ずかしい。恥ずかしすぎる。

 

ほんとに今回の音声は私にとって、最近の言葉で言うなら「神回!」でした。
子供の個性・命が今後どう世の中で生かされていくんだろう、って思いながら見つめていくという姿勢(視点)を教えていただきました。
それまでは、先に「世の中」がありきで、そこに子供が当てはまってってほしい、みたいな必死な感じだったけど、まず「子供の個性」ありきで、それを生かす場所は多分あるだろう、みたいな感じに変化しました。
聞く前と後では、確実に気持ち変わりました。

 

あと、音声の最後のほうで、ジョーさんが今まで「考えたことがない」、というようなことをおっしゃってて、結構衝撃だったのですが、その言葉が後から後からボディブローのように効いてきています。今日から、私も考えないトレーニングしています。

まとまりがありませんが、今日はこれで終わります。
真穂さん、読んでくださった方、ありがとうございました!!

 

 

 

 

心が軽くなった

こんばんは。

昨日ブログでできない自分を認めたおかげでか、
困ったり辛くなったりしたら(親に限らず)誰かに助けを求めていいんだ、っていう気持ちが出てきて、今日は心が軽かった。

 

そうしたらいつもと同じような一日だけど、
出かけた公園で会ういつもの子供の友達やそのママにも、
私たちに縁してくれてありがたいな、という気持ちが湧いた。
こんなできない母のもとで元気にやってる子供にも、
できない妻になんの文句も言わない旦那にも。

 

受け取るってこんな感じ?
自分のサイズを正確にすればするほど受け取れるってのはこういうことなのかな~
なんて思ったり。

 

口の悪いおばあちゃんも(昨日は怒って老人とか書いてしまいましたが)
こういう強烈キャラの人に感情かき乱されることで、本音に鈍感な私も本心にたどり着けたのかも。
何気にありがたいのかも。

 

そんで、イベントに子供が参加しない、とかって公園でベソかいてたけど、
これまた私の問題であって、
私のなかに「人と同じようにできないと馬鹿にされる」とか「できないことで注目されるのは嫌」とか、「子供がちゃんとしないことで親のしつけがなってないと思われるのが嫌」(←多分これが一番強かったかも)とかそういうのがやっぱりあるんだなと。
子供も私のなかの歪みを見せてくれてる。

 

自分が子供の時にどんな風に接してほしかったか、どういう言葉をかけてほしかったかに答えがあるのかな。すぐには思い出せないけど。
「そのままで安心して生きていいよ」とか「言いたいことはいってごらん」とかそんな感じかな。
規律とか人に迷惑をかけないこと、とかそれはそれで伝えなきゃいけないのだろうけど・・

 

なんの結論もないですが、今日はこんな感じです。

 

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仕事もできないけど、子育てもままならない自分を認めます

こんばんは。

前回の記事、私は人に愛されたいと思っている、というようなことを書きましたが、自分の核の部分だったようで、翌朝すんごく恥ずかしくなり記事を削除しようかウダウダ迷いました。
でも、きっと気にしているのは本人だけに違いない・・と思ってそのままです。

 

話は変わりまして、今日の出来事。
今朝自転車で子供と出かけようとしたら、団地の仲良しのおばあちゃんと会い立ち話ししてるとこに、嫌いなばばあ老人が現れました。この人↓

陰で悪口言われてた - kinny528の日記

 

今日も嫌味?を言われ、適当にあしらっていたところに、目の前で自転車と車がぶつかる交通事故。。。ことの成り行きが心配で動けずにいると、老人は「あなたみたいな自転車で子供を前と後ろに乗せてる人は怖くて迷惑」みたいなことを言われ、さすがにこれ八つ当たりじゃんと、イラっときていたら、仲良しのおばあちゃんが「ほかに(子供の面倒を)見てくれる人がいないんだから、しょうがないじゃないの」と怒ってくれた。

 

事故は無事警察も来てくれるようなので、私は予定どおり児童センターのイベントへ。向かってる途中も老人に対するイライラが止まらなかった。

 

イベントは楽しみにしていたんだけど、子供が何度も脱走してしまって、やっぱりまだ無理だったか・・と。四度目ぐらいの脱走で、途中で帰らせてもらうことに。

 

外の公園に場所を移して遊んでいたら、子供は自転車のペダルを回す遊びを始め、それだけならまだ良かったけどチェーンも触ってしまい手が油まみれに(-"-)
公園の水道で洗うも油は取れず、洗っているうちに朝のこともあって、泣けてきた。。。

 

どうして、うちの子はみんなのように座ってられないんだろう。。(←頭ではね、私がそのイベントを勝手に申し込んでるわけで、子供は参加を拒否する権利はあると分かってはいるのですが・・)
どうして、自分がかつて描いてた理想の子育てとは違ってしまうのだろう。。
子育てなんてわかんないことばっかだ。。
うまくいかないことばっかだ。。
涙が止まらない。。

泣いてるうちに出てきた思い。
「親に頼りたい」
私は親に子育ての相談をしたい。近くにいてもらって一緒に育てたい。

 

家に帰ってノートに書く。

 

子供一人なのにあっぷあっぷしてる自分を認めたくないし、
それを認めて助けを求めたら、同じような環境で年子二人を育てた母はもっと大変だったと認めることになる。
そうしたら、母が大変のあまりとってきた態度や行動に対して、
私はああしてほしかったとか、あの言葉に傷ついた、とか母を責めたりできなくなるし、被害者でいられなくなるんだなあ、ってぼんやりと思った。
自分も親になってみて、頭では当時の母の大変さを理解したつもりだったし、被害者でいたいわけでもない。けど、心の中ではまだ根に持ってたんだな。別になにかひどいことをされたわけではないが、私が理想の母親像というのを勝手に作っていて、それと違う対応が返ってくることに勝手に拗ねていただけだ。
でも、もう手放す。

 

私が(長い時間)一人で子育てするのはきっと最良の選択ではない。
もっとたくさんの人の中で、子供には育ってほしい。
ことあるごとに長期的に遠方の実家に帰る人のことを今まで斜めに見ていたけど、私もこれからやってみようかな。
帰ったら帰ったで色々干渉されることに対して怒ってる自分も容易に想像がつくんだけど(笑)、でも、それでも一人で育てるよりはきっといい。


仕事もできてない(してない)けど、子育ても一人ではままなってない自分を認めます。すごく・・認めるのがキツいんですが認めます。

 

 

 

 

 

 

ただ「愛されたい」だけだった

こんばんは。先日こちらの記事で、周りと自分を比べてしまう自分のことを書きました。

ずっと比べて生きていくのは嫌だ - kinny528の日記

その後、またありありと比べてる自分を感じることがありまして・・

 

私の住んでる建物(団地)には外階段がついていて、うちはその外階段のすぐそばの一階の部屋なので、私もその階段を利用しています。最近私の真上の部屋の人が自転車置き場ではなく、その階段の下に自転車を止めるようになり、さらにその家の子供たちの三輪車やら車やらが散乱しはじめ、それが視界に入るたびにずっとイライラしていました。
止める場所じゃない所に止めているのだから、イライラする私の感覚が正しい、自治会に連絡して、駐輪禁止の張り紙をしてもらおうか、とまで考えてました。

 

で、私が正しい→ルール違反してる相手の行動をやめさせたい、みたいな心境って自分でも嫌だなって思っていて、ノートに書いていたら・・

①そもそも私はルール違反が許せないと言っときながら、その人じゃない人が駐輪していたら多分そこまでムカついていない

②つまりその人自体が嫌い→なぜ嫌い?

 

なぜ嫌いをどんどん突き詰めていったら「私よりたくさんのモノを持っているから」だったΣ(゚д゚lll)ウッソーン

モノって物質的な物ではなく、その人に対して言うなら・・まず若い、若いのにすでに3人の子供がいる、まあまあかわいい(声も)、仕事がある、そして今育休を取れてる、上の子供二人が認可保育園に入れてる(保育園激戦地区なのに)、結構な遠方の県から親が育児の手伝いにも来ている、旦那さんもきれいめ・・・とかとか。個人的知り合いでもないのに、こんだけ挙げられる自分にもマジでびっくり!!

 

それでも多分その人が自分が好感持ってる(性格よさげな)相手だったなら「○○さん恵まれてていいな~(でも性格いいからそれも納得~)」、くらいで終わってたかもなんだけど、すれ違って挨拶してもろくに返ってこないし、いつも敷地内で子供を𠮟りつけてるイメージしかなく、「それなのに(性格悪そうなのに)この人は私より恵まれている」って嫉妬が根底にあるんだなと・・・Σ(゚д゚lll)ガーン

 

それで、不思議なもんで自分のこの心のカラクリが分かった途端、止めてる自転車見ても何にも思わなくなった(笑)
その人に対しても何にも思わなくなった(笑)

そして、自分すっげーくだらないし小さいなって、ちょっと笑った。
ほんとに私の無駄なこだわりとか思い込みを、相手とか現象が発見させてくれてるだけなんだなあと。

 

そもそも、いつからこんなに誰かと自分を比べるようになったんだろう。たぶんきっと始まりは親との関係だったんだろうけど、いっぱい持っているモノがある(努力して何かをできるようになった事実とか)=褒められる=褒められる自分は価値がある、っていう思考回路からくるものなんだろうなと。

大きくなってからも学校の先生、友達、異性、仕事の上司や同僚などなどから、「好かれたい愛されたい」そのためにはたくさんのモノを持っていなくては・・と思っていたんだと思う。勉強ができるとか仕事ができるとかの分かりやすいモノだけでなく、例えば見た目に気を遣うとか、周りへの気配りとか、性格良い対応とかそういうのも、すべて愛を得るためにしてたかもしれない。だから、自分よりたくさんのモノを持っている人には無意識で脅威を感じるんだと思う。自分に注がれる好意とか愛情を持っていかれるような脅威。
そして努力しても手に入るわけではない生まれながらの才能とか、頭の良さとか、美とか持ってる人にはかなわない、とも思ってる。


なんにも持っていない自分では通用しない「愛されない」という恐怖に近い思い込み!・・・だから、真穂さんの「ただのオンナ」という生き方に惹かれたのか!!と。今更過ぎる発見・・
だからこそ、素のただの自分で生きることがそういう比べる世界から脱却するための生き方なんだなと、深く腑に落ちました。

 

始まりはただ周りに愛されて褒められたいだけだった。それゆえの「もっとたくさん持たなきゃ」だったんだな。
そのままの自分でも愛されるんだ、ということをこの人生で味わって生きてみたい。

大切なこと

真穂さんの昨日今日のブログすごく大切なことをいってくださってる。

自分への戒めのメモ&決意。

 

この先うまくいっても、調子ぶっこかない。自分の実力じゃない。自分のサイズは正確に。

ただのオンナにこの先近付けたとしても、それで周りを見下さない。

宇宙やら神を信じることを逃げ道にしない。それにより自分がクリーンと勘違いしない。

身近なとこへの感謝をはしょらない。これ私一番大事、忘れがち。

 

ありがたい。。。ありがたい。。。(;o;)

 

 

 

 

 

 

 

 

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ずっと比べて生きていくのは嫌だ

こんばんは。

今日は朝に友達にメールを貰ったことで大きな気づきがありました。
去年結婚した友人から第一子の妊娠と、現在妊娠が順調なことを報告もらいました。
おお~良かったね、と思った反面モヤってしまった。。

 

私、妊娠するまで3年くらいかかったけど、結婚一年目のうちに出産までいくのかあ、体調も順調でうらやましい・・・とか、
年齢的に自分も二人目欲しいけど焦るなあ・・とか。
それと、友達の報告にモヤっとした自分についても凹みかけた。

 

けれど真穂さんのこの記事のおかげで

http://santasantasan.hatenablog.com/entry/2017/03/24/105904

そう思ってる自分をただ観察し、

自分に「そっかー、うらやましいんだね。わかるよ。わが家も暖かくなったら二人目トライしてみようよ~」って語りかけたら、あーら不思議めっちゃ心が穏やかになった。

友達を羨む自分を認めようとか、100%の割合で喜んであげれなかった自分の汚さを認めよう、とか無理に思ってないのに、思ってることを見つめた&自分に言ってほしいことばを話しかけただけで、うちも近いうちに・・って、軽やかに思えた!(もちろんうまくいかないかもだし分からないけど、一瞬で気持ちが切り替わったことにすごく驚いたし、嬉しかった)
ありがたい(TT)真穂さんにもぼのぼのさんにも感謝です☆
 あと、妊娠報告に心が揺れる自分というのはそれで魂を震わせる選択を自分でしてるのかも、とも思えた。

 

そして、気づきというのは・・
思えばずっと、私は自分と誰かを比べて生きてきたんだなということ。どういう仕事をしているか、お給料が高いのか、結婚してるか、結婚したなら子供はいるのか、いるなら何人いるのかとか、それこそ無数に無数に、、、無意識に私は人と自分を比べていたと思う。

自分が欲しいものを持っている人にはすごいと思ったり自分と比べて落ち込む反面、自分のほうがちょっとでも上にいると(勝手に)思ったら安心したりしていた。しかも、前者のパターンの時はすごく自覚があるのに、後者の時は無自覚にやっていて、そんな自分を今朝まではっきりは自覚していなかった。

 

人と比べて自分の位置を確認している生き方だとずっと私は苦しいままなんだ、ずっとキリがないんだ、ってすごく腑に落ちました。もうそういうのは、「やめる」。やめると決意しただけで、辞めれるのかはわからないけど、そういうことしてる自分がいるという自覚が出来たから、またやっちゃう度に「やめる」って自分に宣言し続けようと思った朝でした。

 

 

 

 

 

昨日ワークをアップしてみて、やましかった項目

こんばんは。
昨日100個書き出すワークをブログにアップしましたが、ブログに載せてみるとまた違った目で見れるなあ、と思いました。
ノートに書いたのは二週間近く前のことなので、その時の自分と今の自分でも少し感じ方が変わっていたりするなあと思いました。

 

「どこでも生きていけると思ってる」と「何をしても生きていけると思っている」と書きましたが、今の私は「どこでも生きていけるとは思ってるけど、周りの人の支えがあってこそ」と思うし(←伊勢神宮に行ったときに実感)、「何をしても生きていけると思ってるけど、できれば好きなことをして生きていきたい」(←ここ数日求人誌を見ていて実感)と思います。

 

「お金に困ってない」も、困ってはないけど自分のことにかける余裕はないんだよなあ~、もっとお金ほしいなあと思いました。

 

「約束を破らない」とも書きました。これは良い意味で書きましたが、ブログに載せた途端とてもやましい気持ちになりました。
何故なら、私は人との約束は守ろうと頑張るけど、自分自身との約束は結構今まで破ってきたと思う。気が変わったとかそれほど自分にとって重要でなかったと言えばそれまでだけど、例えばダイエットやるって言ってるのに、痩せれないとか。
誰に責められなくても自分がやましいから、もう自分との約束を破るようなことはしたくないと思った。

 

人との約束については、約束した時と自分の気持ちや状況が変わっていても、約束を破るのは悪いことって思っているから、100%の気持ちがなくなったり少々体調悪かったりしても、断ることができないことが多かった。
自分がそういう姿勢だから、相手が約束を守らないのとかがすごい嫌だった。私は約束したら守ろうとするのにあなたはどうしてしないの?みたいな感じで責める気持ちを持ったり・・
もともとは、相手に約束を破られた時に自分が傷ついて作ったマイルールだと思うけど、なんだか重いし、窮屈だなあと。

 

人間生きていれば毎日いろいろ見聞きして気持ちや考えが変わっていくことなんて普通だ。自分の気持ちが日々変わることを首尾一貫性がないとか責めるのではなく、当然のこととして許し、相手の気持ちが変わることも受け入れれる軽やかな人間になりたいと思った。

 

約束してしまったから嫌だけどやる~とかじゃなく、自分のその時の気持ちを汲んであげることを一番にしていきたいと思う。